TAMIKO ART

⭐️海外展をやるきっかけになったシンデレラストーリーー

TAMIKO ART

  京都の山にいるときに細々ながら京都市北区の大徳寺の近くにあった器館(うつわかん)という陶器と絵を扱う画廊がありご縁あってそこへ作品を展示させて頂いておりました。
  ご縁とは不思議なもので、私の絵をずっと見ていてくださりフアンになった38歳の女性がいらっしゃいました。

  彼女の夢はパリでギャラリーをオープンする事でした。
そして、ついにそれを実現され、私をオープン第2弾の個展に選んでくださったのです。
「パリでやってくれませんか?」と。

   もう、目から鱗と言いますか、その時は放浪の身で無一文、、、、。
京都のオンボロアパート暮らしの時に父に言うと「そんな甘い話は世間にはない!絶対騙されている。」と心配ましたが、それは詐欺ではなく、本当に夢のようなご招待でした。
吉野の古い民家に一人暮らしである事ーその旨を伝えると飛行機代、滞在費までから全部出すと!おっしゃってくださったのです❣️

   彼女はバスティーユにマンションーそれこそ屋根裏部屋で6階だったかしら?までの螺旋階段を上がっていくのです。お部屋は2K位はありました。
  そして歩いて15分くらいのサンポールにギャラリーを出されていたのです。
 パリは個展が1ヶ月も続きます。もう、嬉しいやら、びっくりするやらで、これがシンデレラストーリーというのだろうなと思いましたよ。こういう話は本で読んだり、他の人に起こることでまさか自分の身に起こることとは夢にも思っていませんでした。
   父に言うと「そんな甘い話は世間にはない!絶対騙されている。」と言いましたが、正真正銘本当の話でした。

   その方は九鬼さんと言う方で、京都にお住まいで、大阪で長い間OLをされていた方で、退職金とマンションを売ってご自分の夢を果たされたのでした。
私は本当にラッキーな人間だったんです!正直、パリに憧れてもいなかったし、もちろん、海外で展覧会をしたいとは思ってはいましたが、まさかこう言う形で実現するとは思いませんでした。
 あらよあらよと言っているうちに、旅立つ日がが近づき、自分の幸運が信じられないままお洒落なパリに着いたのです。

  そのギャラリーはパリでもセンスあるマレ区(今は、ゲイが多く美青年がたくさんいると言う噂がある)のギャラリーでの個展の運びとなったのです。

 そのギャラリーは日本の美術、工芸をフランスに紹介しようと言う趣旨のもと、開かれていたので中2階には茶室のしつらえもあり、玉砂利が敷かれ飛石もあり日本風の風情のあるギャラリーに仕上げられていました。

   九鬼さんのもとには秘書と通訳の2人の女性が雇われていました。
いよいよ個展のオープニングの日がやってきました。
 当日はは80人くらいのフランス人が来てくれてワイン片手にワイワイ、本当にこれが社交界か!と思わせる日常とはかけ離れた空間でとても盛況でした。
 もう、夢見ごごちだったのですが、絵はさっぱり売れませんでした、、、。

 まだ、オープンしたばかりで海のものとも山のものともつかないギャラでしたし、パリの人は財布の紐が非常に硬いと言う印象がありました。
 毎日、九鬼さんや秘書さん達のお昼ご飯を鍋いっぱいに作り、ギャラリーに手持ちで運びランチをします。
そして夜は夜で九鬼さんのマンションでみんなで楽しく食事したり、外食によく連れていただきました。クスクスや、ベトナム料理、アメリカレストラン、寿司など色々なところへ連れていただきました。本当に夢のような生活でした。

    本当にお世話になりました。九鬼さんも夢が叶い嬉しくて、かなり太っ腹になってらしたようでした。いわゆる欲のない方でした。
 そしてフランス人のお客さんも私たちをお家に招いて、ランチやディナーを振る舞って下さいました。何が一番おいしかと言ってどの国でもそのお宅に招いてもらっての手料理ほど、心がこもって美味しいものはありません。
 又、呼んでくださる方も、リッチな方もあれば中産階級、学校の英語の先生、郊外の団地の方など、色々なおうちの方々でそれぞれ生のフランスの方の生活が垣間見れてとても面白かったです。

 3組ほどのご家庭を覚えています。
一つ目は有名なアーティストと知り合いだった年配のご夫婦。
アパルトマンに暮らされていましたが、きっと高いのだろうと思います。シックなお部屋が3つくらいにダイニングルーム、そんなに大きくはないのですが、教養のある方であるのが一眼で分かり、奥様がデザートまで手作りで出して下さいました。
 もう一人はパリの郊外の団地に住んでられる幼いー小学2、3年生くらい?の娘さんのシングルマザーだったと記憶します。質素な感じでしたがお手製のランチをいただいたと記憶してます。
 もう一人はパリの高校だったか中学校で英語を教えているちょっと男性っぽい女性?!ー彼女はれずビアンで彼女はオーストラリアに行ってしまったとかで、他の女性とシェアしてアパルトマンで暮らしていた人でした。
 アーティストを何人か呼んで来ていて、たくさんの食べ物がテーブルに並んでいて好きなものを取りながら、会話を楽しむという感じで、フランクな感じでした。

   フランス人は英語ができる人はインテリに限られていた記憶があります。
色々、おしゃべりしを英語でしました。

   そして、毎日、キャラリーダーに詰めていまして、やはり何回か来てフアンになってくれる方もいらして、原画は無理でしたが、プリントを何枚か買って下さいました。
政府に勤めているという中年の女性でした。
 
 そんなこんなで、パリでの初体験の個展は楽しい思い出いっぱいに幕を閉じました。

この体験が元になって、それ以降何度も海外で展覧会を開きます。

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