TAMIKO ART

●海外進出ーNYへチャレンジの顛末

TAMIKO ART

2回目のネパールの旅から帰り、吉野山に住んでいる時は日本画でネパールやヒマラヤやのちに行ったインドネシアの幻想的な絵を体験を交えて描いていました。
 そして、大阪に出てきたのですが、スピリチュアルコンベンションの様な催しに出て、絵の小品やプリントなどを売っていました。

 京都のパレスサイドホテルの2階で出店していた時です、とても綺麗な顔と雰囲気を持った白人の男性が私の店で足を止めたので色々話しました。

 それがオーストラリア人のサイモンで、「大阪人」で取材を受けた記事にも載せたのですが、やってることがたくさん共通していてーーヨガ、シェフ、アーティスト、自然好きで山とか森に住んだことがある、薬草の知識が豊富!
 ビックリしまして、意気投合ーヨガを教えてお金を貯めて向こうに土地を買って薬草園を作るという事で日本に来ていると。
 彼が日本語が全くダメだったので、ヨガインストラクターと通訳、マネージャーという形で2人3脚が始まりました。

 そして2年半で目標の金額がほぼ貯まりサイモンはオーストラリアに帰国したのです。

 私は20代後半に歳を取ったらどこか外国のパーマカルチャーコミュニティーで暮らそうと思っていました。
 サイモンはそれならハワイへ行けということでハワイ島のKALANI (ハワイ語で天国)というコミュニティーに先ず、ボランティアで入りました。

 海外から100人くらいボランティアが来て一緒に生活しながらハウスキーピング、キッチン、造園、建設の仕事などに分かれて働きました。
 お金は10万円ほどは払うのですが、ヨガや色々なWSが受け放題。3食、宿泊は無料で提供されました。
 そして持っていった画集やプリントなどをみんなに見せて売ったりしました。
そしたら、皆んなが口を揃えて言ったのです ”Tamiko! Go to NY!”

 私は素直にそのアドバイスを聞いてNYへ行きました。
ハワイに行く前に大阪でSpectrum gallery で個展をしたり、そこを通してサンディエゴ、サンタフェのアートフェアーには出品し、現地にも行ったりはしていました。

 そして右も左も分からないNYにチャレンジする事になったのです。
人生何があるか、いい意味でわからないものです。

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