右も左もわからないうちから両親が絵を好きであったためにお絵描き教室に週1で通わされた。たまに父も絵を描いた。クロッキーもしたが、結構うまいのである😋
父は貧乏な家に5人兄弟の次男として生まれたが、頭が良かったので、先生に勧められ今の京都教育大学に入った。その当時お小遣いも貰えたそうである。
でも、彼は本当は人と接する仕事より陶器職人のように黙々とと仕事をする工芸人になりたかったと私に言った事がある。父は私に話をするのも好きであった。読書家でもあり、応接間には本が山ほどあった。その影響を受けてか、私もかなりの読書家になったが、小さい頃は父の影響を受けて文学作品が好きであった。
以前にも語ったが、母が鬱病になり、私が将来を考える15歳から大学受験までの間、何になりたいかなどという余裕はなく、小学校6年生から習い始めた英会話が得意でお嬢さん学校の英文科に入った。しかし、ここは4年間、違和感しかなかった。
その時、テレビでルネサンス期のイタリアのドラマを見てその工房で働く若き日のダビンチや工房の少年たちにとても惹かれた。
私もそんな勉強がしたい❣️😃そんな仲間が欲しい!
それがアーティストになりたいと自覚した初めての気持ちであった。
すでにその時は同志社女子大の4回生!
親に言ったら「まだ、大学に行くのか!」とオカンムリ!兎に角、行くなら自力で行けと言われて、覚悟した。落ちたら就職しようと。
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