TAMIKO ART

★アーティストになるために 1

TAMIKO ART

★アーティストになるために 1

 じぶんに表現したいものがなければ、アーティストになれないのに、、、私は10代の頃、その時代の作家やダヴィンチ達、ルネサンス期の美術工房の若き見習い少年達に憧れて美大を受けてしまったのです。
 TVでイタリアのドラマ(ルネサンス期の)をやっていました。

 浅はかにも、その頃、芸術家が一番人類の中で偉大であると思い込んでしまったのです。
 英文科4回生から毎日曜日、美大の予備校に通い高校生の人々と机を並べ、デッサン、色彩構成、立体、構想画の勉強を始めました。

 。上達は初めは思うようにいかなかったのですが、後半、そのコツを掴んだような気がします。その時の講師の先生方は同い年でした。今頃はどうしてられるんだろうな?
 取り敢えず、先のことはさておき、課題をこなしていきました。受験勉強のほうも、コツをつかんでいきました。
 ま、それで奇跡的に無事に合格したのですが。

 自分の表現したいものを見つけて自分の内から引き出していく。そして自分にしか作れないものを作っていくことそれがアートだと思います。
 又、人生若いうちから人生経験なしにどんどん創作していける人と私のように人生経験をどっぷりしないと描けないタイプもあります。

 それと作家が分かり易い見たままの作品(具象画)-肖像画、風景画、人物画など、に向かうのか、抽象画に向かうのか、コンテンポラリーアート(現代アート)に向かうのかはその一人一人の個性であると思います。

 私自身は先を考えると怖かったのですが、芸大にずっとしがみついて外に出ずその中で仕事を見つけ(助手、とか講師、助教授、などになり)幅広い経験なしに作家になるのでは良い作品は作れないと何故か思っていました。

 勿論、私にはそこまでの絵のレベルもなく、そんなサポートをしてくださる教授もいらっしゃらなかったのですが、、、。

 また、私の両親が教師だったことから、何故か教師にだけはなるまいと思っていました。
楽しそうな人生に思われませんでした。
まして母親が鬱になりましたし、、、。

 芸大卒業後、中学校、高校の教師になる方も多かったと思います。
中学校の美術の非常勤講師もしてみましたが、全く性に合いませんでしたあせ
 その上に会社に勤めるのも嫌と言う厄介な性格でした💦

それ故に経済的には苦難の道を歩んできたと思います。

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